【バチェロレッテ感想】愛の男、杉ちゃんと林檎の木の解釈

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こんばんは。イキリオタクぱりはらです。

 

最新の配信からはやや遅れてですが、バチェロレッテ全編見ました。

そしてバチェロレッテの感想を書くためだけにブログを作ってしまいました。

繰り広げられる人間ドラマがあまりにも面白すぎて、仕事の途中に一気見してしまうほどでした。

 

バチェラー・ジャパンもシーズン1は見たんですが、シーズン1があまりに面白すぎたためか2、3の失速感に耐えられず見なくなってしまいましたね。

時間があればこちらも見ておきたいです。

 

さて、こちらの記事で書きたいことは本当に色々あるんですが、

本気を出したら10記事くらい書けちゃいそうなので、今回は萌子さんが下した決断と、杉ちゃんというこの番組の第2の主人公ともいえるであろう人物について考察していきたいと思います。

 

重大なネタバレを含みます。

まだ見てない人は速やかにブラウザの戻るボタンを押すことをお勧めします。

なんといっても久々にこういう恋愛バラエティ番組で楽しめたので、

余すことなく感想を書き綴っていきたいと思います。

 

それではどうぞ。

 

 

 

 

1.バチェロレッテの決断

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初代バチェロレッテ、福田萌子さん。

 

みなさんご存知の通り、萌子さんは最後のローズセレモニーに残った黄さん、杉ちゃんの両方に別れの言葉を告げ、ファイナルローズを渡すことはありませんでした。

 

黄さんには「最初から男性として惹かれていました。だけど結婚の相手は黄さんではありません。」とはっきりと告げ、

一方の杉ちゃんには「会えなくなるのが嫌だ、もっと一緒に時間を過ごしたい。でもそれは恋人に向ける感情ではない。」と言いました。

 

結果両者ともローズを受け取ることはなく、前代未聞の優勝者なし、という結果に終わったわけなんですが、なんなんでしょうこのモヤモヤ感は。。なんとも言えない幕引きになってしまいました。

 

当然2ヶ月という長い時間仕事を休み、この番組に参加した男性たちからは非難轟々

参加者の男性達がひな壇に座り暴露大会を行うアフターファイナルローズでは、イケオジ輩サーファー、萩原さんと萌子さんの口論のシーンも見られました。

 

こんなに沢山の男性から責められる状況って、普通の女性だったら絶対耐えられないと思うんですけど、萌子さんは毅然とした態度で「私の人生を決めるのは私です。」と言い放ちましたね。大した胆力ですよ本当。僕なら泣いてます。

 

それはともかくとして、なぜ萌子さんは2人とも落としてしまったのか。

ひな壇男性たちの言うように、どちらか片方を選んでお付き合いしてみて、そんでいざ結婚となったらダメでした、でも良いと思うんですよね。現に歴代バチェラー達はそうしてるワケですし。

これを考えるために残った男性2人の、そして萌子さんのパーソナリティとこれまでの軌跡をそれぞれ考察していきたいと思います。

 

 

2.黄晧という男について

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イケメン中国人実業家、黄晧さん

 

別名モラハラ鉄面皮。理由は結婚したらモラハラしそうだから。(偏見)

この方はねー、正直最後の最後まで萌子さんのこと本当に好きなの?という感想がついて回った。

中国出身の実業家ということで文句なしのハイスペですし顔もイケメン。

女性に選ばれるどころか、正直さぞおモテになるでしょ?十分女性に困らないんじゃない?といったスペックなんですよね。

 

そんな彼が大事な仕事を休んでまで参加したバチェロレッテ。

番組後半では残った候補者に対し喧嘩をふっかけて回ったりと、ヒールを演じることもあり心象は良くなかったです。

でもアフターファイナルローズの杉ちゃんの最後の告白の時、「僕にはこの場で萌子さんに告白する勇気はなかった。」と語った。

いちおう萌子さんを好きだ好きだとは言いつつも、最後まで自分の素の姿を見せることなく、萌子さんとの2人のシーンでやっと「本当に好きになってしまうのが怖かった」と本音を語りました。

しかしファイナルローズセレモニーで別れを告げられた際、あっさりと「なんの後悔もない、清々しい気持ち」と言い放ちましたよね。

 

なんかこの一連の流れ、違和感あるんですよね。

 

本当に好きな女性に振られて、そんなあっさり引き下がれるものかと。

 

おめえ、本当にローズほしいんけ?

 

ここで僕は思いました。

 

「本当は黄さん、萌子さんのことそんなに好きじゃなかったのでは?」

 

本当にたまに萌子さんを好きと言っていたり、自らわざわざ馴れ合いを好まず、ローズセレモニーの後1人立ち去ったり、わざわざ候補者がイラっとくるような言葉を投げかけてみたり、しまいにはアフターファイナルローズで「僕にはこの場でもう一度萌子さんに告白するような勇気はない。」という諦めっぷりですよ。これはちょっとおかしい。

 

黄さん、萌子さんへの恋愛感情も多少はあったにせよ、彼の振る舞いや言動は番組を盛り上げ、成功させるための演技だったのではないでしょうか

 

常に仕事に対して全力で真剣でひたむきな彼だから、これだけ大きな番組を成功に終わらせるのがどれだけ大変か分かっているからこそ、徹底的に番組を盛り上げることに徹した。でなければああいう言動はできないと思うんですよね。

自らヒール役を買って出て、立てるべきところでしっかり主役(杉ちゃん)を立て去っていった。そう考えると彼の僕の中での好感度が爆上がりしました。笑

 

でも、であればこそ、萌子さんもそれを見抜いていたんでしょうね。

最後の屋久島デートで黄さんに言った「リスクマネジメントはしないでほしい。勝っても負けても良い経験になったなんて、本心から出る言葉じゃないでしょ。もう一歩踏み込んできてほしい。」という言葉は、「恋に破れて傷つくのを怖がるのはもうやめよう。思いっきり私を好きになってほしい。」という意味であるのと同時に、「本当に私のことを好きなら、それなりの態度を見せろ。」という意味でもあったのかな、と。

 

そこまで恋愛に保守的になってしまった原因を作ったエピソードも、結局彼の口から語られることはありませんでした。

その結果、あのシーンでは黄さんは「もうダメだ、好きになっちゃ。。」と一瞬素を見せますが、萌子さんはもっと別の言葉を期待していたようにも思える。

 

それはずっと素顔を隠していた彼とは対照的に、自らの思いの丈をありとあらゆる手段で、形容で、全力でぶつけてくれた杉ちゃんという存在と比べてしまったからこそ、彼女は黄さんと抱擁を交わしながらも、あんなにも清々しい顔で、彼とお別れする決意をしたのかなと感じました。

 

 

3.杉田陽平という男について

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冴えないが感性豊かな画家、杉田陽平さん。

あくまで番組の主役はバチェロレッテである萌子さんなんですが、僕は杉田陽平という1人のパッとしない男性が、全力で愛を表現する情熱的な男に成長するストーリーと捉えることもできると思いました。ていうかそっちがメインな気がする。笑

 

杉ちゃんの刹那的で儚く、あまりにも精微な感性は、番組の端々で紡がれる彼の言葉から感じ取ることができます。

 

台湾のランタン飛ばしの時、「愛は花びらのよう」と表現した杉ちゃん。

彼もまた萌子さんと同じように、追っても追っても上手くいかない恋愛があったんでしょう。逆にいつのまにか自分から何もしなくても、手のひらにひらひらと落ちてきて収まる愛もあった。

それは恋愛感情だけではなくて、友情だったり、家族との絆だったり。

だからこそ愛とは巡り合わせだし、ましてや結婚など奇跡が起きるからするものだということなんでしょうね。素敵な言い回しです。

 

冒頭から萌子さんの人間性を知り、言葉を交わしながら色を集め、描き進めていく油絵は、最終的に萌子さんとのお部屋デートで完成を見ることとなります。

その時萌子さんは杉ちゃんの前で涙してしまうのですが、この涙の意味はなんだったんでしょうね。

本人も過去の失恋を振り返りながら言っていたように、杉ちゃんから注がれる愛でさえ永遠でもないし絶対でもない、それを悟って流した涙だったんでしょうか。

 

このように萌子さんは、過去の恋愛のトラウマから「愛は絶対じゃない、永遠の愛なんて存在しないんじゃないか」という思いを持っていることがわかります。

 

そして僕の中で一番印象に残ったエピソードの、2人で林檎の木を植えるシーン。

ここ本当に良いシーンなんですけど、岡村が余計なツッコミを入れたせいで、多くの視聴者が勘違いしてしまっているんじゃないかなと思いました。

杉ちゃんは、神聖ローマ帝国宗教改革者のマルティン・ルターの言葉を引用して、「明日世界が終わるとしても、僕は林檎の木を植えたい。」と言っていました。

ちょっと考えたらわかると思うんですが、ここでの「明日世界が終わる」という表現は杉ちゃんにとって「萌子さんに選ばれず、この旅を終える」ということの隠喩です。

 

 

「それでも林檎の木を植えたい。」

 

 

この意味わかりますでしょうか。

 

ざっと考えうる解釈を並べると、以下のようになります。 

 

➀萌子さんに選ばれなくても、僕は将来の希望を今育てることを楽しみたい。

②萌子さんに選ばれなくても、僕は最後まで選ばれる希望を持ちたい。

③萌子さんに選ばれなくても、僕は彼女との愛が確かにここにあった証拠を残したい。

 

人によってさまざまな解釈があるため、これが正しい!という答えはないと思います。

岡村は②の意味だと思っていたようですが、僕は③だと解釈しました。

 

ミソは「明日世界が終わるとしても→萌子さんに選ばれなくても」ですね。

「萌子さんに選ばれなくても」は、杉ちゃんの言葉を借りると「花びらを掴むことができなくても」と言い換えることができます。

同時に、「愛は花びらのようだ」は「愛は望んで手に入るものじゃなくて、いつの間にかそこにあるものだ。」という解釈ができます。

この2つの解釈を繋げると「萌子さんに選ばれなかったとしても、愛とは望むものではなく巡り合わせなのだから、それはそれで仕方のないことだ。」となります。

半ば諦めのようにも聞こえますが、ではここから「それでも木を植えたい」に繋げる杉ちゃんは、いったいどういう心境でこの言葉を発したのでしょうか。

 

杉ちゃんは、萌子さんのことを何度も何度も「こんな女性、人生でもう2度と出会えないだろう」と強調しています。

その理由は番組を全編見た人ならわかる通り、萌子さんもまた、独特で繊細な感性の持ち主だからです。

 

愛を「生きること」と表現したり、アトリエに置いてあった2つのコーヒーカップから伸びた影が交わっている様子を杉ちゃんと自分の姿に重ね、「あまりスキンシップはしないし物理的な接触はないけど、心はちゃんと通じ合っている私たちのよう」と喩えたり、朝の澄み切った景色の中での運動が好きだったり、他の男性メンバーが見ても何も感じないであろう曇った空を指差して「綺麗」と言ったり。

 

SHELLYの言葉を借りれば「波長が合っている」2人でしたが、お互いがお互いにしか通じない言語でコミュニケーションをとっているんですよね。

お部屋デートを終えて杉ちゃんが去った後、萌子さんがひとり涙した理由は、

「これだけ感性が近くて、通じ合える男性はもう今後現れないだろう。だけど彼を男性として見ることはできない。」

といった悲壮、罪悪感、自分への怒りから生じる葛藤だったと推察できます。

 

2人はそれほどまでに、お互いにとってかけがえのない存在になっていたんですよ。

 

杉ちゃんも心では選ばれないことが分かっていたのかもしれない。

ろくに女性と目も合わせられない、カクテルパーティで萌子さんに話しかけることができず泣いてしまう。

自らが男性的な魅力に欠けるということぐらい、当の本人が一番分かっているんです。

ライバルである黄さんに男性としての魅力で負けているからこそ、萌子さんと林檎の木を一緒に植えることで、その木を「永遠の愛」の象徴にしたかった。

男性として見られているわけではないかもしれない、だけどそこには確かにお互いに通じ合った愛情があった。だからこそ忘れたくない。形として残しておきたい。そういうことだったんじゃないでしょうか。切なすぎますね。

 

例えこの恋が叶わなかったとしても、萌子さんという存在は杉ちゃんの中でずっとずっと生き続けるんです。

その象徴としての林檎の木であって、恋愛の成就、結婚の成立を祈願して植えたわけではないんじゃないかと。

 

それを岡村が、杉ちゃんが振られた後、「(フラれたんなら)林檎の木抜いてまえ!」とツッコミを入れたせいで、視聴者の多くには②の意味だと捉えられてしまった。

スギちゃんは2人の関係が終わっても、ローズを渡されず萌子さんから選ばれなくても、確かにそこには愛があったことを永遠に記憶しておきたかったんですよ。

もちろん選ばれるのが一番いいんだけども。

 

ある種の「諦めの美学」を矜持として持っている杉ちゃんだからこそ、「時間」という概念から脱却し「一度注がれた愛は消えることはない」という真理を表現できたわけです。

「絶え間なく注がれる愛」を心から欲する萌子さんとは対照的ですよね。

 

そういえば映画「インテーステラー」や 「ラ・ラ・ランド」にも似たようなメッセージがあったような。とても素敵ですよね。

 

 

4.「結婚」に縛られ、愛を諦めた

萌子さんを失いたくないが故に結婚を迫る杉ちゃんと、結婚の形に拘るが故に彼を受け入れることができなかった萌子さん。

 

この残酷さわかります?お互いの求めるものが見事に噛み合っていないんです。

 

杉ちゃんは萌子さんとずっと一緒にいるためには結婚しか手段がないと思っている。

 

萌子さんは結婚にはお付き合いが必要で、そのためには杉ちゃんを男として見なきゃいけない。でもそれはできないから結婚できないと思っている。

 

でも2人はずっと一緒にいたいと思っている

 

全ては「結婚」という形に拘り続ける2人だからこそ、愛が実らないんです。

 

なんという皮肉でしょうか。悲しすぎる。

 

からしたら、男として見れなくても割り切って結婚しちゃえば?

杉ちゃんめっちゃ良いお父さんになると思うよ?逃した魚は大きいよ?

と思いますけど、女性ってそうじゃないんですよねー。

 

僕が大好きな恋愛ブロガー、京大生ホステス灯諸こしきちゃんも言っています。

 

多くの女性って、すごくすごく好きでも男として見れない、つまりセックス出来ない相手とは付き合えないんですよね。

 

そしてこのツイート。

 

 

 

あなたといる時の自分が好き。

 

萌子さんは、杉ちゃんと一緒にいる時こそ自分を好きになれるんです。

 

杉ちゃんが紡ぐ言葉は萌子さんの感性を刺激して、自分ひとりでは見つけられなかった感情を見つけることができる。

だから自分をもっと知ることができる。

そんな発見をさせてくれるから杉ちゃんが好きなんです。

これって劇中で何度も聞いた台詞ですよね。

 

でも結婚はできない。彼氏とか夫とか、そういう枠組みではなく、もっと別のパートナーとして杉ちゃんと一緒に人生を歩んでいきたいと思っている。

 

でもそれもまた出来ないんですね。杉ちゃんはあくまで恋人として、自分の妻として、萌子さんにそばにいてほしいと思ってるから。

萌子さんが杉ちゃんに友達でいてと願うのは、杉ちゃんからしたらとても残酷な提案に聞こえることでしょう。

 

ましてやあのまっすぐな萌子さんです。

白黒はっきりさせないと気が済まない、グレーな気持ちで 杉ちゃんと付き合うのは失礼だと言い放つ萌子さんですよ。

恋愛感情が湧かない相手なんて、お付き合いはおろか結婚できるわけがないんでしょうね。萌子さんからしたら至極当たり前の結論だと思います。

 

萌子さん、多分これから杉ちゃんを超えるくらいフィーリングが合う人と巡り合うことはそうそうないだろうし、もしかしたら彼女の性格なら結婚せず一生を終える可能性もあるかもなーと思いました。めちゃくちゃ頑固で我が強いので。

 

 

5.男を斬りまくる萌子さんを見て視聴者の留飲を下げる女性向けポルノ?

インフルエンサーの田端さんが、「これは女性が憧れるカッコいい女性が、男を蹴散らして気持ちよくなる女性向けのポルノだ」と言っていましたが、まあ納得できる部分もあります。

 

たしかに予告やCMでは萌子さんのズバズバいく物言いがクローズアップされていてアマゾンの製作陣(マラカイではない)の人選、流石だなー、これは女性にウケるわと思い見始めたんですよね。

だけどそこには知的で論理的で、うわべだけの男をバッサバッサと論破するようなカッコいい性格の萌子さんとは180°真逆な、非常に繊細な一面も見ることができました。

 

 

正直これだけの人間ドラマを、萌子さんが男をズタボロに論破して留飲を下げるバラエティとしてだけ見るのは非常にもったいない。

杉ちゃんと萌子さんがお互いの感性を刺激し合い、言葉を紡いでいく様子をできるだけ追いながら見ていましたが、非常に面白くて心打たれました。

実際僕は萌子さんの性格すごく好きです。結婚は絶対したくないけど。

 

まあでも現実的な話をすると、萌子さんの決断を絶賛する人は多分結婚できないでしょうけどね。

 

 

6.結婚は妥協なのか、真実の愛とは何なのか。

作中何回も語られた「真実の愛」というテーマ。

結婚は妥協の産物とも言われるように、多くのカップルは相手の悪いところに目を瞑って、まあ自分も大した人間じゃないし、と自分を納得させて人生を生きています。

うちの親も黄さんや萌子さんのご両親のように四六時中ベタベタベタベタしてるんですけど、こういう夫婦の方が珍しいのかもしれません。

 

黄さんのご両親は初恋同士で結婚したと言っていましたが、実はうちの両親もそんな感じがするんですよね。

はっきり聞いたことないんでわからないですけど。ていうか聞きたくないですけど。

 

恋愛を多く経験するほど、素敵な異性に会えば会うほど、この人だ!と一生の相手を決めるのは難しくなっていきます。当たり前です。

この人と別れても次の相手すぐ見つかるし、という心理がはたらきますからね。

そんな中でずっとお互いを尊敬し合い、愛し続けられる相手を見つけるのは確かに奇跡なのかもしれない。

杉ちゃんの言葉を借りれば「すっと落ちてきて手の平に収まった花びら」のような相手であり、萌子さんの憧れる「絶え間なく注がれる愛」なんですね。

 

ずっと好きでいられる相手と結婚できたらそれはそれで嬉しいだろうけど、逆に結婚という制度そのものが、萌子さんと杉ちゃんのようにずっと一緒にいることの障害になっている気もする。

 

昨今、セクシャルマイノリティのパートナーシップや性別という枠組みそのものを疑問視する声も高まってきているという社会情勢もあり、いろんなことについて考えさせられた作品でした。 面白かった~。